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東京地方裁判所 平成6年(ワ)4227号 判決

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

伊東良徳

被告

株式会社新潮社

右代表者代表取締役

佐藤亮一

右訴訟代理人弁護士

多賀健次郎

中馬義直

舟木亮一

主文

一  被告は原告に対し、金一一〇万円及びこれに対する平成六年二月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の主位的請求及びその余の予備的請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告は原告に対し、金五五〇万円及びこれに対する平成六年二月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、原告が、被告の発行、販売にかかる雑誌に掲載された記事及びこれについての新聞広告等により、破廉恥な犯罪の被疑者として逮捕された新聞記者としてマスコミで騒がれていた甲野太郎の配偶者であること及び勤務先等の私的事項を虚実ないまぜに公開され、プライバシー権を侵害されたとして、被告に対し、主位的に民法第七〇九条、第七一〇条に基づく損害賠償請求として、予備的に民法第七一五条、第七一〇条に基づく損害賠償請求として、五五〇万円及びこれに対する本件不法行為の日(雑誌の発売日)である平成六年二月二四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

本件の争点は、①本件の記事及び広告が原告のプライバシー権を侵害するか、②原告のプライバシー権を侵害するとして違法性が阻却されるか、③原告が被った損害である。

二  前提となる事実関係

1(一)  原告は、平成六年二月一八日に売春相手の女子中学生との性交渉の場面などを無理やりビデオ撮影したという強要の疑い(以下「本件被疑事実」という。)で逮捕され、同月二八日に処分保留で釈放された後、同年三月二四日までに不起訴処分を受けた元朝日新聞記者甲野太郎(以下「甲野記者」という。)の配偶者である(争いのない事実)。

(二)  被告は、書籍及び雑誌の出版等を目的とする株式会社であり、雑誌「週刊新潮」を編集、発行、販売しているものである(争いのない事実)。

2(一)  被告は、平成六年二月二四日発売の「週刊新潮」平成六年三月三日号に、「『ビデオ』で逮捕された東大卒朝日記者の妻はロイター社員」と題する特集記事(以下「本件記事」という。)を掲載し、同誌を刊行した。

本件記事の内容は別紙のとおりであり、「特集『ビデオ』で逮捕された東大卒朝日記者の妻はロイター社員」との大見出しを掲げ、リード部分には「伝言ダイヤルで売春相手として呼んだ十四歳の女子中学生に、ビデオ撮影を強要したとして逮捕された朝日新聞記者・甲野太郎(30)。身内の恥を進んで公表した朝日の記事はなかなか潔かったが、この記事を読む限り、これはてっきり独身男の犯行だろうと思っていたら、実はレッキとした妻帯者だった。しかも、妻は元読売新聞記者で、今はロイター通信に勤めるマスコミ夫婦だったのだ。」と記述している。そして、本文では、まず、甲野記者の逮捕事実及び評判等を紹介し、それに続いて、「水戸の恋で結ばれる」との中見出しの下に、「それにしても不思議なのは、甲野にはちゃんと妻がいたことである。」と記述し、甲野記者の妻を「陽子さん(仮名)、二十九歳」とした上で、事情通の談話として、「陽子さんは香川県の出身で、東京外語大学英米語学科に進学しましたが、アメリカの留学の経験もあり、英語はペラペラです」「昭和六十三年に大学を卒業すると、読売新聞社に記者として入社。水戸支局、八王子支局を経て英字新聞部、つまりデイリー・ヨミウリに移り、そこで読売を退社しました。そして平成三年一月にロイター・ジャパンに翻訳者として入社し、現在は、欧米を中心とする海外記事を日本語に翻訳し、ロイターの電子メディアで流すという仕事をしています」と、原告の経歴及び現在の職業について記述している。次に、原告と甲野記者の馴初めにつき、「水戸支局時代に、居酒屋で一緒になったのが馴初めだったそうです」と記述し、原告の容姿及び甲野記者との私生活上のエピソードにつき、水戸支局時代を知っている他社の記者の談話として、「彼女は小柄、小太りで、眼鏡をかけたインテリタイプの女性。お洒落とも無縁の、典型的な“女性新聞記者”タイプだった」「けれど、この水戸支局時代は、記者としての仕事よりもむしろ甲野君との恋愛でエピソードを残している。彼が詰めていた県庁の脇の空濠でデートし、夜中の一時、二時頃に背中にいっぱい枯芝をつけた二人が、ノソノソと濠から這い登ってきたのを、同僚記者に目撃されたとか、ある日彼女が額にコブをつくって出社したので、驚いた上司が聞くと、“彼が激しくて”とケロッと答えたとか……。相当に情熱的な二人だったようです」と記述し、さらに、事情通の談話という形で、「結婚は平成三年の七月でした」「式の司会は、日本テレビで『独占スポーツ情報』などを担当している関谷亜矢子アナウンサーが務めました。陽子さんと関谷アナは高校時代のアメリカ留学が一緒で、それ以来、親友関係にあったからです。結婚後は、一一人で朝日の八王子通信局兼自宅に住んでいましたが、陽子さんは、新しい職場のロイターで、“優しくて理解があり、素晴らしい人”とのろけるほど、夫婦仲は良かったように見えました」と記述している。そして最後に、「二人で考えること」との小見出しの下に、原告の父親の談話として、今後のことは原告と甲野記者が二人で考えることである等の内容を記載している(甲第一号証)。

(二)  被告は、右「週刊新潮」平成六年三月三日号の発行、販売にあたり、「『ビデオ』で逮捕された東大卒朝日記者の妻はロイター社員」と記載した広告(以下「本件広告」という。)を、新聞及びJR、私鉄、地下鉄等の車内の中吊りに掲載した(甲第二号証の一、二)。

3  本件記事は、被告と委託契約を締結した専属記者の岩本隼が執筆したものである。本件記事が掲載された「週刊新潮」平成六年三月三日号の編集者は松田宏、発行人は山田彦彌であり、両名は被告の従業員である。本件広告の掲載は、右松田宏及び山田彦彌が、それぞれ編集者、発行人としての権限に基づいて行ったものである(争いのない事実)。

三  争点

1  本件記事及び本件広告による原告のプライバシー権侵害の有無

(原告の主張)

他人に知られたくない私的事柄をみだりに公表されないという法的利益ないし権利すなわちプライバシー権の侵害に対し法的な救済が与えられるためには、公開された内容が、①私生活上の事実又は私生活上の事実らしく受け取られるおそれのある事柄であること、②一般人の感受性を基準にして、当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められる事柄であること、換言すれば、一般人の感覚を基準として、公開されることによって心理的な負担、不安を覚えるであろうと認められる事柄であること、③一般の人々に未だ知られていない事柄であることを必要とし、④公開によって当該私人が実際に不快、不安の念を覚えたことを必要とするというべきであるところ、本件記事及び本件広告が右の要件を充たすことは明らかである。

(一) 本件記事及び本件広告では、原告の実名を出さず、甲野記者の妻として仮名を用いて記述がされているものの、甲野記者については実名で完全に特定している以上、一夫一婦制、夫婦同氏制の下では、本件記事の記載により原告が完全に特定されていることには変わりがない。そのうえ、原告の勤務先として明記されたロイター・ジャパンに勤務する甲野姓の者は原告のみであるから、本件記事中の甲野記者の妻についての記載が、不特定多数の読者に原告の私生活上の事実ないし私生活上の事実らしく受け取られるおそれのある事柄であることは明らかである。

(二) 被告が本件記事及び本件広告により公表した原告の勤務先、年齢、出身地、経歴、容姿・容貌、私生活上のエピソードは、一般的にみても、一般人の感受性を基準としていずれも公開を欲しない事柄であるし、特に本件のように破廉恥事件として報道がされている事件の被疑者の妻の立場に立った場合に、一般人の感受性を基準にして、これらの情報、特に勤務先等自己を特定し第三者から連絡を取り得る状態に置く情報について公開を欲しないであろうことは明らかである。

(三) 本件記事及び本件広告に記載されている原告の勤務先、年齢、出身地、経歴、容姿・容貌、私生活上のエピソード及び原告が甲野記者の妻であることは、いずれも原告個人の私的な生活関係を構成する事実であり、一般に知られていない事実である。原告と甲野記者が夫婦であることは、原告の知人、親戚等は知っているが、原告や甲野記者の勤務先ではあまり知られていない事実であったし、原告の勤務先については、勤務先及び仕事上の関係者は知っているが、それ以外の者に周知されている事実ではなかった。

(四) 原告は、本件記事及び本件広告により、実際に不快、不安の念を覚えた。

(被告の主張)

(一) 本件記事及び本件広告が原告の勤務先等を特定したことにより原告が特定されることになったことは否認する。

(二) 一般的にみて、本件で公開された原告の勤務先、年齢、出身地、経歴、容姿・容貌、私生活上のエピソード及び原告が甲野記者の妻であることが、一般人の感受性を基準として公開を欲しない情報であるということは否認する。これらは公開をはばかるような情報ではない。

(三) 甲野記者の本件被疑事実が広く報道されたことにより、一般人の感受性を基準として原告が甲野記者と夫婦であることが公開を欲しない情報に転化したとしても、原告が甲野記者の妻であることは戸籍や住民基本台帳等の公の記録に記載された公然たる事実である以上、公開されたとしてもプライバシー権の侵害には当たらない。また、原告の勤務先は原告が甲野記者の妻であることを特定する要因として公開を欲しない情報となるとしても、右のとおり、妻であることが公然性を有する以上、勤務先の公開もプライバシー権の侵害にはならない。

また、本件記事が原告名を仮名としたことにより、また、週刊誌読者の記事の読み方、受容の実態からみて、情報拡散の範囲は限定的で、かつ、時間的にも一過性であり、受忍限度の範囲内である。

(四) 本件記事及び本件広告により、原告が不快、不安の念を覚えたことは不知。

2  違法性阻却事由の存否

(被告の主張)

週刊誌の記事が他人のプライバシー権を侵害するものであっても、表現の自由の優越的地位に鑑み、プライバシー権と表現の自由との調整はいわゆる類型別比較衡量論によるべきであり、公共の利害に関する事実すなわち社会の正当な関心事を、適正妥当な表現内容・表現方法によって伝えるものであれば、違法性を阻却するというべきであるところ、本件記事及び本件広告は、仮に原告のプライバシー権を侵害しているとしても、右要件を充たすから、違法性を有しない。

(一) 本件記事は、平成六年二月一八日に逮捕された甲野記者の本件被疑事実についての報道を内容とするものである。

そもそも、公訴提起前の犯罪行為に関する事実は公共の利害に関する事実とみなされるところ、被疑事実そのものだけでなく、動機や背景事情等、被疑事実に関連し、あるいは付随する事柄も、それが当該事実の報道にとって必要かつ相当な内容であるときは、犯罪行為に関する事実に含まれるというべきである。そして、犯罪は本人の人格とその環境の相互作用として生ずること、本件被疑事実のような年少者に対する性的犯罪は成人の女性に接近・接触する自信のない独身者に多いことが定説となっており、環境及び性の直近かつ密接な関係は夫婦であるから、甲野記者の妻である原告個人の属性ないし家庭その他の私的な生活関係を構成する事実は、犯罪事実そのものでないとしても、犯罪事実に関連する事柄として、本件被疑事実の報道にとって必要かつ相当な内容というべきである。

さらに、甲野記者は、我が国の代表的新聞である朝日新聞の東大卒の司法部記者であり、ゼネコン汚職裁判の解説記事を署名いりで書いたりするエリート記者であったのであるから、仮に本件の甲野記者の行為が強要罪という犯罪を構成しないとしても、本件事件はひとり本人の醜聞にとどまる事件ではなく、社会の木鐸たる立場にある者としての法的・倫理的問題が社会一般の正当な関心事となった事件なのである。その上、妻である原告は元読売新聞記者で現在は世界的通信社であるロイターの社員なのであり、評論家、文化人と同様、表現行為を通じて社会に影響を与える社会的地位にある者である。右のような甲野記者の社会的地位や活動状況と前述の事柄の内容からして社会の「正当な関心事」たることに疑問の余地がなく、甲野記者と環境、性関係において直近かつ密接な関係にある原告に関する事実も、それに関連する事柄として、必要かつ相当な内容であり、同様に社会の「正当な関心事」なのである。

(二) 本件記事の表現内容・表現方法は、本件記事のテーマである「ビデオで逮捕された東大卒朝日記者とその妻であるロイター社員」について、犯罪原因である甲野記者の人格と環境を客観的事実に基づいて過不足なく好意的に記述したもので、適正妥当なものであり、単に市民の好奇心に訴えた興味本位の品位を欠くものではないので、不当性は有しない。

(三) 以上のとおり、本件記事は、その対象が公共の利害に関する事実すなわち社会の関心事であり、その目的が市民の知る権利に応えるもので専ら公益を図ることにあり、かつ、その表現内容・表現方法が適正であるから、違法性を阻却する。

(原告の主張)

(一) 表現の自由とプライバシー権の調整には、被告主張のいわゆる類型別比較衡量ではなく、個別的比較衡量を行うべきである。しかし、仮に被告主張の類型別比較衡量論に基づき、いわゆる公共の関心事等の法理をプライバシー権侵害における損害賠償に適用するとした場合でも、公共の関心事か否かは、現実に本件記事及び本件広告により公表された原告の勤務先、年齢、出身地、経歴、容姿・容貌、私生活上のエピソードについて問題にすべきである。

原告は、公的な立場にあるわけでもなく、甲野記者の逮捕事実と直接何の関連も有しない一私人であり、その原告の勤務先その他の属性を公表することに歴史的又は社会的な意義はない。

甲野記者の被疑事実の報道との関係についても、犯罪報道に関しては、被疑者本人についてすら犯罪事実及びそれと密接に関連する事実に限ってその報道が公共の利益に関するものとされるのであり、被疑者の家族については、被疑者とその家族自体が当該犯罪事実の要素となっていて、家族について触れなければその事実を特定できない場合、もしくは、特にその犯罪の動機を報道すべき特殊な事情があり、家族がその動機の中核をなす場合にのみ、犯罪事実ないしそれに密接に関連する事実として、公共の利害に関係するというべきである。本件においては、原告の勤務先等は、甲野記者の逮捕事実の要素ではなく、また、甲野記者の逮捕事実の動機ないし原因を報道することが特に必要とはいえず、原告がその動機の中核をなすわけでもないのであるから、原告の勤務先等が公共の関心事ではないことは明らかである。

(二) 本件記事及び本件広告の作成、掲載は、そもそも犯罪報道としての強い自覚もなく単なる好奇心からなされたものであり、甲野記者の逮捕事実を報道することに藉口してその配偶者である原告をさらし者にして辱めようという意図によるものであって、被告に公益的な目的があったとは到底考えられない。

3  損害

(原告の主張)

原告は、本件記事及び本件広告によって、不特定多数の者に甲野記者の配偶者と特定された上、勤務先を知られ、年齢、出身地、経歴、容姿・容貌、私生活上のエピソードを虚実ないまぜに周知されたことにより、著しい精神的損害を受けた。そして、本件記事により原告の勤務先に原告宛の嫌がらせの電話及び手紙が来たりするなどの実害を生じている。以上のような原告が受けた精神的損害を慰藉するために必要な慰藉料の額は五〇〇万円を下らない。

さらに、原告は、被告に対する損害賠償請求訴訟の提起を原告訴訟代理人に依頼し、弁護士報酬として五〇万円を支払うことを約したので、これも本件不法行為と相当因果関係のある損害というべきである。

(被告の主張)

争う。

第三  争点に対する判断

一1  本件記事及び本件広告によって原告のプライバシー権が侵害されたといえるかにつき検討する。

そもそも、他人に知られたくない私的事項をみだりに公表されないという法的利益ないし権利すなわちプライバシー権が侵害されたというためには、公開された内容が、①私生活上の事実又は私生活上の事実らしく受け取られるおそれのある事柄であって、②一般の人々に未だ知られておらず、③一般人の感受性を基準にして、当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められること、換言すれば、一般人の感覚を基準として、公開されることによって心理的な負担、不安を覚えるであろうと認められることを必要とし、かつ、④公開によって当該私人が実際に不快、不安の念を覚えたことを要するというべきである。

2(一)  まず、原告の実名が用いられていない本件記事及び本件広告が、原告の私生活上の事実を公表するものということができるかという点につき検討する。

〈証拠〉及び前提となる事実関係記載の事実を併せると、平成六年二月一九日の朝日新聞朝刊で、甲野記者が同月一八日に売春相手の中学生との性交渉の場面などを無理やりビデオ撮影したという強要の疑いで逮捕されたことが実名で報じられたこと、これを契機にマスコミ各社が大手新聞社である朝日新聞社の記者の前代未聞の不祥事として右事件を取り上げるに至ったこと、甲野記者は原告の配偶者であること、平成六年二月二四日発売の「週刊新潮」に掲載された本件記事が、甲野記者の妻につき、仮名を用いて、その現在の勤務先、年齢、出身地、出身大学、職歴、容姿・容貌及び甲野記者との私生活上のエピソードを記述していること、本件広告は甲野記者の妻の勤務先を具体的に特定して記載していること、本件記事及び本件広告の甲野記者の妻についての右記載事項のうち、少なくとも現在の勤務先、年齢、職歴は事実と合致していることが認められる。

以上によれば、本件記事では原告については仮名が用いられてはいるものの、甲野記者が実名での報道の対象になっていたことから、その妻も甲野姓であることは第三者であっても容易に推量し得るというべきであるから、本件記事が掲載された「週刊新潮」誌が頒布され、本件広告が新聞及び電車の中吊りに掲載されて、右に挙げた原告の氏名以外の個人的属性、とりわけ現在の勤務先が公開されたことにより、原告が甲野記者の妻であること及び本件記事中の甲野記者の妻についての記述は原告に関する事柄であることを不特定多数の人が認識し得る状態となったことが認められる。

そして、〈証拠〉によれば、甲野記者の妻の勤務先、年齢、出身地、経歴、容姿・容貌、私生活上のエピソードの記述は、これを読む一般読者に対し、事実であるという印象を与えたであろうことが認められる。

(二)  次に、本件記事及び本件広告中に原告について記載されている事柄が、一般の人に未だ知られておらず、一般人の感受性を基準として、公開を欲しないものであると認められるかという点につき検討する。

本件記事及び本件広告で公開された原告についての記載内容が、一般の人々に知られていたとまではいえない事柄であったことは、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨からして明らかである。

そして、本件記事及び本件広告が出た当時、甲野記者は破廉恥な犯罪の被疑者として逮捕された人物として世間から関心を寄せられていたことが既に認定したとおりである以上、一般人の感受性を基準として、原告の立場に立った場合、自らが甲野記者の配偶者であることを公開されることを欲しないことは多言を要しないものというべきであり、したがって、自らが甲野記者の妻であることを第三者から特定される要因となるような情報すなわち原告の勤務先、年齢、出身地、出身大学、職歴、容姿等も、公開されることを欲しない情報であったものと認められる。

なお、原告と甲野記者との私生活上のエピソードについては、これが公開されたとしても原告が甲野記者の妻であることが世間に広まることにつながるとはいえないが、既に検討した本件記事における記述内容に照らせば、これを不特定多数の読者に真実であると信じられることは、一般人の感受性を基準としても苦痛を覚えるものであるというべきである。

被告は、そもそも原告が甲野記者の妻であることは戸籍や住民基本台帳等の公の記録に記載された公然たる情報であるから、これが公開されてもプライバシー権の侵害には当たらないと主張する。しかし、戸籍等の公開を原則とする公の記録に記載されている事項であっても、それは特定の情報を求める人の請求がなければ明らかにされることはないものであるし、住民基本台帳等の閲覧又は戸籍の謄本等の交付の請求が不当な目的によることが明らかなときはその請求が拒まれることがあることからしても(戸籍法第一〇条第三項、住民基本台帳法第一一条第四項、第一二条第四項参照)、週刊誌等や広告に掲載されて不特定多数の人の目にふれることになることとは大きな違いがあるのであって、公の記録に記載されていることのみでは、その情報がプライバシー権として保護の対象にならないとはいえず、被告の右主張は採用し得ない。

被告は、本件記事では原告につき仮名を用いているのであるから情報の拡散の範囲は限られており、受忍限度の範囲内であると主張する。しかし、実名を用いなくとも勤務先等原告が甲野記者の妻であることを第三者が認識し得べき情報が本件記事に多く含まれていることは既に検討したとおりであり、原告本人尋問の結果によれば、原告の勤務先において、原告が甲野記者の妻であることはそれまでは同じ部署内でしか知られていなかったが、本件記事及び本件広告が原因で全社内に広まってしまうという事態が実際に生じたことが認められることからしても、拡散の範囲が限られており、受忍限度の範囲内であるとは到底いうことができず、これについての被告の主張も採用することができない。

(三)  しかして、原告本人尋問の結果によれば、前記のような情報の公開により原告が実際に不快、不安の念を覚えたことが認められる。

3  以上のとおりであるから、本件記事及び本件広告によって原告のプライバシー権が侵害されたというべきである。

二  被告は、表現の自由とプライバシー権の調整はいわゆる類型別比較衡量論によるべきであり、他人のプライバシーを侵害するものであっても、社会の正当な関心事を適正妥当な表現内容・表現方法によって伝えるものであれば違法性を阻却するとし、本件で問題とされている原告の属性ないし家庭その他の私的な生活関係を構成する事実は、甲野記者の本件被疑事実の報道にとって必要かつ相当な内容であり、社会の正当な関心事であると主張する。

そして、証人岩本隼は、良識人たるべき新聞記者である甲野記者が、配偶者がありながら本件のような性的不道徳事件を惹き起こした原因を探るには、同人の妻との関係を明らかにすることが不可欠であると考えて、原告について本件記事で取り上げることを決め、本件記事を掲載した旨証言している。

一般に、犯罪事実の報道が公共の利害に関するものとされる理由は、犯罪行為ないしその容疑があったことを一般公衆に覚知させて、社会的見地からの警告、予防、抑制的効果を果たさせるにあると考えられるから、犯罪事実に関連する事項であっても無制限に摘示・報道することが許容されるものではなく、摘示が許容される事実の範囲は犯罪事実及びこれと密接に関連する事実に限られるべきである。したがって、犯罪事実に関連して被疑者の家族に関する事実を摘示・報道することが許容されるのも、当該事実が犯罪事実自体を特定するために必要である場合又は犯罪行為の動機・原因を解明するために特に必要である場合など、犯罪事実及びこれと密接に関連する場合に限られるものと解するのが相当であり、犯罪事実に関する社会公共の関心と本来犯罪行為と直接関係がない被疑者の家族のプライバシーの調整は、右の限度において図られるのが相当である。本件の場合、岩本証人の前記証言のとおりに甲野記者とその妻との関係を明らかにすることが事件の原因を探るうえで不可欠であるとしても、妻である原告の勤務先、学歴、職歴、年齢等を具体的に特定して報道することまでが甲野記者の被疑事実に関連する事柄として必要であったとは到底認められない。

したがって、本件記事及び本件広告の表現内容・表現方法の適否等に立ち入って検討するまでもなく、本件のプライバシー権侵害の違法性が阻却されるとの被告の主張は失当であり、本件記事及び本件広告は、原告のプライバシー権を違法に侵害するものであるといわざるを得ない。

なお、被告は、原告がマスコミの関係者であり、社会の木鐸として警鐘を鳴らす立場にあることを原告のプライバシー権侵害の違法性が阻却される根拠として挙げているが、マスコミの関係者であるからといってそのプライバシーが一般に制限されると解すべき根拠は見当たらないし、原告本人尋問の結果によれば、原告が携わっている仕事は外国から送られてくる英語のニュースを日本語に翻訳するというものであり、被告主張のような公的立場にある人物であるとは認められないから、被告の右主張も失当である。

三  原告は、本件記事及び本件広告による原告のプライバシー権侵害につき、被告に対し、主位的に、民法第七〇九条、第七一〇条に基づく損害賠償を請求しているが、現行法上法人の不法行為責任につき民法第四四条第一項及び第七一五条第一項の規定が置かれている以上、法人について不法行為に基づく損害賠償責任を肯定するには右のいずれかの規定を介する必要があると解すべきであり、原告の右請求は認めることができない。

しかし、本件記事は岩本隼が執筆したものであり、同人は被告と委託契約を締結している専属記者であること、本件記事が掲載された「週刊新潮」平成六年三月三日号の編集者は松田宏、発行人は山田彦彌であり、両名は被告の従業員であること、本件広告の掲載は、松田宏及び山田彦彌が、それぞれ編集者、発行人としての権限に基づいて行ったものであることからすると、被告は民法第七一五条第一項の使用者責任は免れないというべきである。

四  原告が本件記事及び本件広告により被った損害については、原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件記事及び本件広告を見て、自分が甲野記者の妻であることが多数の者に知られることになるであろうと感じて打撃を受けたこと、原告が甲野記者の妻であることが勤務先で知れわたってしまったこと、原告の勤務先に対して甲野記者の事件に関して電話が掛かってきたこと、これらにより体に不調をきたすまでに至ったことが認められ、以上の事実に鑑みれば、本件において原告が被った精神的損害を慰藉するための賠償額は一〇〇万円が相当である。

そして、〈証拠〉によれば、原告が被告に対して本件訴訟を提起し、これを追行するにつき原告訴訟代理人弁護士に訴訟委任したことは、自己の損害の回復のためにやむを得なかったと認められるから、原告から同弁護士に支払を約した弁護士報酬のうち一〇万円は、本件の不法行為と相当因果関係に立つ損害として、被告にこれを賠償させるのが相当である。

第四  結論

以上によれば、原告の本件請求のうち主位的請求は棄却を免れないが、予備的請求は、被告に対し一一〇万円及びこれに対する不法行為の日である平成六年二月二四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却すべきである。

よって、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条本文を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官魚住庸夫 裁判官松藤和博 裁判官市川多美子)

別紙〈省略〉

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